大谷古墳群現状調査報告書

福岡市西南部・油山山麓の後期群集墳

大谷古墳群

現状調査報告書

8〜11号墳/横穴式石室を主体とする群集墳

デジタル版 v1.1.0

大谷古墳群(航空写真)拡大表示

本ページは、油山古墳研究室『大谷古墳群 現状調査報告書』(2023年)のデジタル版です。本文・数値・図版はすべて原報告書のとおりで、内容に改変は加えていません。

大谷古墳群8号墳〜11号墳の文面および作図は、原報告書の註記のとおり 1985年 福岡大学歴史研究部考古学班発行「七隈21号」より転用されたものです。1〜7号墳は発掘調査済みであり、本デジタル版では現状調査の対象となった8〜11号墳を収録しています。なお、各図版は拡大して細部まで確認できます。

01

立地と環境

大谷古墳群周辺分布図拡大表示
大谷古墳群分布図拡大表示

福岡市の西南部にそびえる背振山系の一支脈である油山(標高約 592m)の山麓はいくつもの舌状台地を派生させる。特に小笹、平尾周辺の台地は鴻ノ巣山を中心として発達しており福岡平野と早良平野を二分し、博多湾にいたっている。その油山山麓部一帯には古墳時代後期の小古墳が群集し一大群集墳を形成している。大谷古墳群もそのひとつであり、油山支脈が早良平野に突出し飯倉丘陵へと続く同支脈先端部に位置し、西に駄ヶ原古墳群、東に倉瀬戸古墳群、早苗田古墳群、鳥越古墳群が分布している。

大谷古墳群は昭和 46 年に宅地造成工事にともなって、1 号墳〜7 号墳の 7 基が発掘調査された。調査後、3 号墳の埋葬施設である竪穴式石室は、梅林中学校の校庭に移築復元されて教育施設の一環として利用されている。

1、2、11 号墳は西に延びる丘陵の南側斜面上、標高約 66m〜78.5m に位置し、1、11 号墳は南西に開口し、2 号墳は南に開口する両袖単室の横穴式石室を埋葬施設に持つ。3 号墳は、1、2、11 号墳が存在する丘陵の南側の谷を挟んだ丘陵の屋根稜線上、標高約 80m に位置し、竪穴式石室を埋葬施設に持つ。4、5 号墳は北に延びる丘陵の東側斜面上、標高 115〜120m に位置し、4 号墳は東に開口する両袖単室の横穴式石室、5 号墳は南東に開口する両袖複室の横穴式石室を埋葬施設に持つ。6 号墳は 4、5 号墳と同一丘陵の屋根稜線上、標高約 130m に位置し、南東に開口する両袖単室の横穴式石室を埋葬施設に持つ。7 号墳は 4、5、6 号墳が存在する丘陵の東側の谷を挟んだ丘陵の西側斜面上、標高約 133m に位置し、南に開口する両袖単室の横穴式石室を埋葬施設に持つ。8、9 号墳は 3 号墳が存在する丘陵の屋根稜線上、標高約 125m〜140m に位置し、8 号墳は南に開口し、9 号墳は南西に開口する両袖単室の横穴式石室の埋葬施設に持つ。10 号墳は 7、8 号墳が存在する丘陵の北東側の谷を挟んだ丘陵の南西側斜面上、標高約 149m で大谷古墳群中最高所に位置し、南西に開口する両袖複室の横穴式石室の埋葬施設に持つ。

大谷古墳群 1〜7 号墳は発掘調査済みである。

*1972 年福岡市教育委員会発行の「大谷古墳群Ⅰ発掘調査報告書」、1985 年福岡市教育委員会発行の「大谷古墳群Ⅱ福岡市埋蔵文化財発掘調査報告書」を参照

02

8号墳

大谷古墳群 8 号墳(旧 7 号墳)

本墳は北西に延びる丘陵の標高 123m〜125m の屋根稜線上先端部に位置し、同一丘陵の屋根稜線上に立地する 9 号墳より北西に約 100m の距離を測る。また、本墳からは早良平野や博多湾一帯を望むことができる。

墳丘

墳丘はその存在が全く確認できず、したがって、一見して古墳と判断することは困難な状況であるが、石室の周壁の一部がわずかに露出しており、それに伴う落ち込みがみられる。このように墳丘の形状及び規模等の詳細は不明である。

石室
大谷古墳群 8 号墳地形図拡大表示

本墳の埋葬施設は、残存している石材の配列状態より察して、ほぼ南に開口する横穴式石室であると思われる。石室は土砂の流入のため不明確であり、落ち込みの北側に奥壁と思われる 2 段の石積みが確認できる程度である。腰石は完全に土砂で埋没しているので、平面プランおよび規模等の詳細は不明である。また、落ち込みの周辺には本墳の石材と思われるものが点在している。尚、本墳に使用されている石材は全て花崗岩である。

03

9号墳

大谷古墳群 9 号墳(旧 8 号墳)

本墳は北西に延びる丘陵の標高 137m〜138.5m 間の尾根稜線上に位置し、同一丘陵の 8 号墳より南東に約 100m、標高差約 10m で、北東側の谷を挟んで存在する 10 号墳より西に約 150m、標高差約 10m の距離を測る。本墳の存在する丘陵の屋根稜線部付近から西側の谷に向って幅約 20m に渡って土砂が著しく流出している。

墳丘
大谷古墳群 9 号墳地形図拡大表示

墳丘盛土は石抜き、及び自然崩壊により流出が激しく全く原形をとどめておらず、墳裾線も確認することができない。そのため、墳形、規模ともはっきりしない。本墳の存在する丘陵の斜面には、数個の石材が点在している。

石室
大谷古墳群 9 号墳石室実測図拡大表示

本墳の埋葬施設は、谷に向ってほぼ南西に開口する両袖単室の横穴式石室である。石室の残存状態は、天井石、周壁上部の石材の崩壊等により原形をとどめていない。玄室内には 110cm×70cm 程度の石材が落ち込んでいる。現状では奥壁幅約 180cm、右側壁幅約 165cm、左側壁幅約 190cm を測る。

奥壁は現床面より 3 段であり壁高は約 130cm である。腰石には 95cm×45cm 程度の石材を横位に 2 枚設置し、2 段目には 95cm×40cm 程度の石材を横位に 2 枚積み上げ、3 段目には 40cm×45cm 程度の石材を 4 枚並べて積み上げている。1 段目には栗石の使用が見られる。

右側壁は 4 段で、1 段目は 105cm×25cm 程度の石材と 70cm×15cm 程度の石材をそれぞれ横位に使用し、2 段目には 70cm×40cm 程度の石材と 90cm×50cm 程度の石材を積み上げている。3 段目、4 段目には 60cm×45cm 程度の石材を積み上げている。

左側壁は 4 段で、腰石は土砂の流入によって判然としないが、現状で 80cm×25cm 程度の石材を 2 枚並べて使用している。2 段目からは 60cm×40cm 程度の石材を積み上げている。右側壁に比べやや小ぶりの石材を使用している。右袖石は 40cm×60cm 程度の石材を使用している。左袖石は埋没、崩壊により確認することはできない。

羨道は羨道右側壁に 2 段石積みが認められるが、羨道左側壁は土砂の流入による埋没、崩壊により詳細は明らかでない。尚、本墳の石材は全て花崗岩である。

04

10号墳

大谷古墳群 10 号墳(旧 9 号墳)

本墳は北西に延びる丘陵の標高 145m〜149.5m 間の比較的ゆるやかな南側斜面上に位置し、本古墳群中最高位に存在する。本墳より谷を挟んで南西側に存在する 9 号墳より約 150m、標高差約 10m の距離を測る。また、開口部側の墳裾近くには幅 5m 程度土砂の流出が見られる。

墳丘
大谷古墳群 10 号墳地形図拡大表示

墳丘盛土はほぼ完全な状態で残存しており、現状での墳丘径は主体部主軸方向に 11m、主軸と直交する方向に 9.5m を測る不整形な円墳である。しかし、開口部側の落ち込みのために開口部側の墳裾は判然としない。また、墳頂高は 149.726m であり、墳丘の比高は墳丘頂部から南西側に約 4.5m、北東側に約 0.5m を測る。

石室
大谷古墳群 10 号墳石室実測図拡大表示

本墳の埋葬施設は、開口主軸方向を S-48°-W にとり、ほぼ南西の谷に向って開口する両袖複室の横穴式石室である。石室の残存状態は、比較的良好であるが、多量の土砂の流入により、床面、腰石は不明確である。後室については、現状で奥壁幅約 176cm、右側壁幅約 248cm、左側壁幅約 264cm、前壁幅約 194cm、玄門幅約 94cm を測る。

奥壁は 5 段で、腰石には 176cm×70cm 程度の石材を 1 枚使用してあり、2 段目、3 段目には 80cm×50cm 程度の石材を横位に積み上げている。それより上段になると、50cm×30cm 程度の石材を雑に積み上げている。また、2 段目、3 段目には右側壁に架構する力石の使用が見られる。

右側壁は 5 段で、腰石には 120cm×60cm 程度の石材を横位に 2 枚設置している。2 段目からは 100cm×50cm 程度の石材を比較的丁寧に積み上げている。また、栗石の使用が顕著である。

左側壁は 5 段で、腰石に 10cm×50cm 程度の石材を 2 枚使用している。2 段目、3 段目、4 段目は 100cm×50cm 程度の石材と 60cm×40cm 程度の石材を比較的丁寧に積み上げているが、5 段目は 30cm×20cm 程度の小ぶりの石材を雑に積んでいる。また 3 段目には、石材を失い封土を露出しているところが見られる。

前壁は 3 段で、楣石に 100cm×40cm 程度の石材を使用している。2 段目には 100cm×60cm 程度の石材、3 段目には 80cm×30cm 程度の石材を積み上げている。左右袖石は 50cm×100cm 程度の石材を縦位に使用している。天井石は、2 枚使用しているが、前壁側の天井石が奥壁側の天井石の上段に構築されている。前室については、土砂の流入により袖石、腰石が不明確である。現状で右側壁は 4 段で、1 段目は 90cm×20cm 程度の石材が確認できるだけである。2 段目以上は 60cm×50cm 程度の石材を比較的雑に積み上げている。

左側壁は 4 段で、1 段目は 50cm×20cm 程度の石材が確認できる。2 段目以上は 80cm×50cm 程度の石材を比較的丁寧に積み上げている。また、両側壁ともせり出しが激しい。天井石は 2 枚使用している。

羨道は石材がほとんど残存していないが、天井石が前室の天井部より 20cm 程度下がり、前室と羨道部を明確に区分している。尚、本墳の石材は全て花崗岩である。

05

11号墳

大谷古墳群 11 号墳

本墳は西に延びる丘陵の標高 65m〜70m 間の比較的急な南側斜面上に位置し、同一丘陵上の斜面に立地する 1 号墳より西に約 22m、標高差約 3m の距離を測る。

墳丘
大谷古墳群 1 号墳・11 号墳地形図拡大表示

墳丘盛土は本群中比較的良好である。現状での墳丘径は、主体部主軸方向に約 8m、主軸と直交する方向に約 10m で不整形な円墳である。墳頂と墳裾との標高差は、約 3m を測る。

石室
大谷古墳群 11 号墳石室実測図拡大表示

本墳の埋葬施設は、開口主軸方向を S-34°-W にとり、南西に開口する両袖単室の横穴式石室である。石室の残存状態は、比較的良好であるが、土砂の流入のために床面、腰石は不明瞭であり、また、床面には多数の石が散在している。

奥壁は 4 段で、腰石には右側壁側に 55cm×100cm 程度の石材を縦に、左側壁側に 120×80cm 程度の石材を横位に使用している。2 段目、3 段目には 70cm×50cm 程度の石材を横位に積み上げている。4 段目には 30cm×20cm 程度の石材を数個使用している。

右側壁は 5 段で、腰石には奥壁側に 140cm×35cm 程度の石材、前壁側に 45cm×40cm 程度の石材を使用している。2 段目、3 段目は奥壁側に 60cm×50cm 程度の石材を使用し、前壁側に 40cm×30cm 程度の石材を積み上げている。4 段目、5 段目は 30cm×30cm 程度の石材を使用している。

左側壁は 5 段で、腰石には奥壁側に 160cm×60cm 程度の石材を横位に、前壁側に 50cm×70cm 程度の石材を縦位に使用している。2 段目、3 段目は 60cm×70cm 程度の丸味をおびた石材を数個使用している。4 段目、5 段目には 30cm×20cm 程度の石材を積み上げている。左右両側壁とも栗石の使用が目立つ。前壁は 2 段で、楣石に 100cm×70cm 程度の石材を使用し、その上に 80cm×40cm 程度の石材を積み上げている。天井石は一枚である。左右袖石は 40cm×80cm 程度の石材を縦位に使用している。

羨道は、左右一段で、70cm×60cm 程度の石材を 2 枚使用している。尚、本墳の石材は花崗岩である。

*大谷古墳群 8 号墳〜11 号墳の文面および作図は 1985 年福岡大学歴史研究部考古学班発行の「七隈21号」から転用した。

*「七隈21号」では、7 号墳を 10 号墳、8 号墳を 7 号墳、9 号墳を 8 号墳、10 号墳を 9 号墳としていたが、福岡市埋蔵文化財地図に倣い、修正した。

06

古墳データ

各古墳の残存・発掘状況、墳形、標高・墳頂高、墳丘規模、石室形式・開口方向、玄室および前室・羨道の各部寸法、玄室面積を一覧にした基礎データ表である。(横スクロール・拡大表示が可能)

大谷古墳群古墳データ横スクロール/拡大表示
07

石室開口方向

大谷古墳群石室開口方向拡大表示
08

標高からみる墳丘規模と玄室面積

大谷古墳群(墳丘径)

標高からみる墳丘規模(墳丘径)— 大谷古墳群拡大表示

大谷古墳群(玄室面積)

標高からみる玄室面積 — 大谷古墳群拡大表示

油山古墳群全域からみるポジショニング(墳丘径)

油山古墳群全域からみるポジショニング(墳丘径)拡大表示

油山古墳群全域からみるポジショニング(玄室面積)

油山古墳群全域からみるポジショニング(玄室面積)拡大表示

*油山古墳群全域とは鳥越古墳群、早苗田古墳群、倉瀬戸古墳群、大谷古墳群、駄ヶ原古墳群、霧ヶ滝古墳群、影塚古墳群、西油山古墳群を指す。

*座標軸上の赤線は油山古墳群全域の平均値である。

09

写真

写真大谷古墳群 1 号墳拡大表示
写真大谷古墳群 1 号墳前壁拡大表示
写真大谷古墳群 10 号墳拡大表示
写真大谷古墳群 11 号墳拡大表示